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福岡高等裁判所 平成3年(う)140号 判決 1992年1月20日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中二〇〇日を原判決の刑に算入する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人羽田野節夫、同湯口義博、同吉田純一連名提出の控訴趣意書及び控訴趣意補充書に、これに対する答弁は検察官中倉章良提出の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、被告人を本件覚せい剤所持の現行犯で逮捕するまでの捜査の過程において、(一)警察官らが令状を持たず、被告人の承諾もないのに被告人が宿泊していたホテルの室内に立ち入った、(二)警察官らが令状を持たず、被告人の承諾もないのに、被告人の所持品であるセカンドバッグを開けて覚せい剤を発見したという各捜査手続きの違法があり、これらの違法手続きによって押収された覚せい剤等の証拠は排除されるべきであるから、被告人の覚せい剤所持の訴因を有罪とするに足りる証拠はなく、かつ、(三)右違法な逮捕に基づく身柄拘束中に収集された被告人の尿の採取に関する報告書や右尿の鑑定書等は、いずれも違法収集証拠であり、証拠能力がなく排除されるべきであるから、被告人の覚せい剤使用の訴因を有罪とするに足りる証拠もないのに、右各捜査手続きを適法とし、排除されるべき各証拠を取調べたうえ、これに基づき、被告人を有罪とした原判決には、判決に影響を及ぼす訴訟手続きの法令違反があるというのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して順次検討を加える。

一  ホテル「○○」三一三号室内へ立ち入りの適法性について

警察官が被告人の在室するホテルの客室に立ち入った経緯については、原判決が「弁護人の主張に対する判断」の二項で詳細に判示しているところであり、右認定は関係証拠に照らし、正当なものとしてこれを認めることができる。

すなわち、被告人は、平成二年六月九日午後九時ころ、N(以下、Nという)とともにホテル「○○」に宿泊したが、被告人が鏡の前に立ち、目をスプーンでほじくったり、「虫がいる」などと口走りカミソリで体毛を剃ったり、取り寄せた食事もとらなかったことなど、覚せい剤の使用による影響と思われる異常な言動を呈したことから、Nは右被告人の態度に畏怖すると共に身の危険を感じて、被告人の隙を窺い、ホテルの従業員に一一〇番通報を依頼したこと、右連絡を受けた同ホテル店長朝井登は、改めて三一三号室に電話をかけてNと話したところ、被告人に覚せい剤使用の疑いがあり、かつ警察への通報を依頼する意思のあることを確認したため、付近の警察官派出所に赴き、花田巡査部長に事情を説明して警察の出動を要請したこと、右説明によれば、早急にNを救護すべき状態であると認められたので本署からの応援要員二名を含めた右花田巡査部長ら五名は、直ちに朝井の案内で同ホテルに急行し、三階にある同室前に至ったこと、朝井がチャイムを押したところ、Nがすぐにドアを開け怯えた様子で姿を見せ、言葉と動作で室内に通報依頼の原因となった同伴者がいる旨告げ、更に後続の久岡巡査部長に対しては、同室内への立ち入りを同意して、右警察官らと入れ違いに室外に逃れる形で出ていったこと等の状況が認められる。

もとより、ホテル等に宿泊する者のプライバシーが守られなければならないことは当然であるが、客室において、犯罪行為がなされている疑いがある場合や不穏当な言動をする者がある場合には、ホテル等の施設側にも、その管理権に基づき、その客室に、その宿泊者の意に反して自ら立ち入って事情を聴取し、あるいは警察官に通報して、その立ち入りを許し、犯罪の嫌疑等の解明をその職務質問に委ねることができるものと解される。

本件の場合、警察官等は、被告人と同宿していたNの一一〇番要請に基づき、ホテルの管理者の案内と承諾のもとに、Nを救護しかつその間の事情を聴取するために右客室に立ち入ったのであって、何ら違法な点はなく、また、Nが警察に保護を求めた経過や、被告人の口の回りが掻きむしったように赤くなっていることなどの被告人に覚せい剤の使用及び所持が疑われる状況下においては、警察官において、被告人に対し職務質問をする必要性が優に認められるのだから、たとえ居住者である被告人から退去の要請があっても、警察官は、職務質問に必要な時間はその場に留まって事情を聴取することができるというべきであり、この点の弁護人の論旨は理由がない。

二  所持品検査及び覚せい剤押収手続きの適法性について

警察官らが三一三号室に立ち入って被告人に対し、職務質問をしたのち、覚せい剤を押収するに至った経過についても原判決が「弁護人の主張に対する判断」の二項で詳細に判示しているところであり、右認定は関係証拠に照らし、正当なものとしてこれを認めることができる。

すなわち、花田巡査部長らが内扉を開けて室内に入ったとき、被告人は、上半身は裸で下半身にタオルを巻いた状態であったが、錯乱状態とは言えないものの、口の回りが掻きむしったように発赤しており、右警察官らが入室して来たのを認めた後も、Nの名前を大声で繰り返し呼び、室内をウロウロするなど落ち着きのない状態が続いたこと、その間に被告人はしきりに室内ベッド枕元の棚上に置いてあったバッグの方に視線を走らせるなどの挙動が認められたことに加え、一旦室外に出た久岡巡査部長が、Nから被告人が同室内で覚せい剤を使用していた事実とそれが右バッグ内に隠匿してあることを確認して戻り、右バッグの背面物入れポケットから覗いている注射器を発見したこと等の状況が認められる。

なお、Nは、当審公判廷において、久岡から室外において、事情を聴取されたことはなく、原審での証言は、事前に検察官からメモを見せられてそのとおり証言するように言われたものである旨供述している。しかし、一方で被告人を職務質問している時期に、警察官が重要な参考人である一一〇番通報を依頼したNから事情を聴取しないとは考えられないうえ、検察官が示したメモなるものは、検察官がNの捜査段階における供述調書を要約したもので、Nが証人として出廷する前にNの都合で事前準備の時間がとれなかったため、やむなくかかるメモを作成したうえ、その内容の真偽を確かめる方法で事前のテストをしたというものであるところ、Nは原審において、室外の廊下でも警察官と少し話した旨、久岡の証言にそう供述をしているが、このような事実はNの捜査段階の供述調書には記載がなく、かつ、Nは長時間に多岐にわたる尋問に対し、明確に答えているのであって、その信用性は高いというべきである。これに対し、当審公判廷におけるNの供述は、あいまいであって、要領を得ず、被告人が原審で有罪判決を受けたことやNと被告人とのこれまでの関係に照らせば、Nが被告人に有利な供述をしている疑いが強く、到底信用できない。

次に、花田巡査部長が右注射器の発見に引き続き行った被告人所有のバッグを開披し、中に入っていた覚せい剤を発見した点について考察する。

所持品検査は、任意手段である職務質問に伴う付随的処分として許容されるのであるから、所持人の承諾を得て、その限度においてこれを行うのが原則であるが、所持品検査の必要性、緊急性、これによって侵害される個人の法益と保護されるべき公共の利益との権衡を比較衡量し、具体的状況のもとで相当と認められる場合においては、捜索に至らない程度の行為は、強制にわたらない限り、所持人の承諾のない場合でも許されると解すべきである。

本件の場合においては、前記警察官出動の経緯や現場におけるNの言動及び被告人の態度などから職務質問をなすべき要件は備わっていた上、事案の内容に鑑みれば所持品検査の必要性があったことはいうまでもなく、さらに、現場はいわゆるラブホテルの一室であって被告人の所持品はほとんどなかったこと、Nの供述及び覚せい剤の自己使用に被告人が用いたものと推認される前記注射器の発見により、被告人がバッグ内に覚せい剤を所持していることの蓋然性が客観的にも極めて高く、これを放置すれば覚せい剤を遺棄するなどして罪証を隠滅される可能性が大であったことに鑑みれば、緊急性も認められるというべきである。

また、右警察官らが本件で実際に行った所持品検査は、例えば被告人が抵抗するのを押し止めたり、その身体に手を掛けて探り、あるいは着衣のポケットに手を突っ込んで内容物を取り出すというような被告人に対して直接有形力を行使する態様のものではなく、被告人の手から離れた場所に置かれていたバッグを、被告人の面前に持ち出し、物入れポケットから覗いていた注射器を抜き取り、かつ既にホックが外れた状態になっていた上蓋を開披してバッグの内部を一瞥するというに留まり、いずれにしても捜索に至らない程度の強制にわたらない行為であったと認められる。

したがって、被告人が蒙る法益侵害の程度は小さいものである反面、所持品検査によって、発見される蓋然性が高かったのは覚せい剤であって、その保健衛生上の危険や、社会に対する害悪等の公共の利益と対比すれば、本件における警察官らの所持品検査は、右具体的状況のもとで相当な行為であったと認められるから、たとえ事前に被告人の承諾がなくても本件所持品検査は適法なものというべきである。

そして、開披の結果発見された白色結晶は、当時の状況からして覚せい剤であることは決定的であったというべきだから、その後、試験をして覚せい剤であることを確認したうえで、被告人を覚せい剤所持の現行犯人として逮捕した手続きには何ら違法な点はなく、したがって、この点の弁護人の論旨は理由がない。

三  尿の採取手続きの適法性について

弁護人のこの点の主張は、被告人を覚せい剤所持の現行犯人として逮捕したことが違法であり、そうした違法な身柄拘束中に収集された証拠は排除されるべきであるというのであるが、前記認定のとおり、本件現行犯人逮捕手続きは適法であり、弁護人の主張はその前提を欠くうえ、関係各証拠によれば、被告人は任意に尿を提出したことが認められ、本件採尿手続きになんら違法な点は窺われないから、この点の論旨も理由がない。

四  証拠物の取調べについて

なお、弁護人は、検察官が原審において、Nが任意提出した証拠物(原審検一九ないし五四号)は適法に領置されたものではないのに、その取調べ請求をした違法があると主張するが、これらの証拠物はその後に請求が撤回されており、なんら証拠となっていないうえ、これらの証拠が原判決の事実認定に供せられたとも認められないから、弁護人のこの点の論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条により、当審における未決勾留日数中二〇〇日を原判決の刑に算入し、当審における訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 前田一昭 裁判官 川﨑貞夫 裁判官 長谷川憲一)

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